読書が好きです。
最近、読書には罠があると実感したことがあったので、
気をつけています。
私が本を買うのは年100冊くらいです。
それを12年で、蔵書は1200冊くらいです。
全部はもちろん読んでいません。
むしろ読んでない方が多いかもってレベルです。
外出するなら、本は持ち歩きます。
暇があると、読みます。
本を読むと、知識が入ります。
知識があると、何かあったときに、その知識を出せばいいだけという状況も生まれます。
つまり便利です。
調べる癖が結構ついた気がします。
何かわからないことがあると、すぐスマホで調べます。
知識を入れる癖がついてます。
これってあれと似ているなって感じることも多くなってきます。
前の知識で染める。
本とは、知識を与えてくれるものだ。
これが罠だと実感しています。
本を知識として扱うことは、ひとつの方法です。
しかし、そこに浸かってしまうといけない。
自分で考えることをしなくなる。
本を読んでいると、著者の思考を追います。
追っていると、「追っている=考えている」のだと錯覚しがちに思います。
著者の考えを追うだけではなく、それを知識として暗記するだけでなく、
「自分」はどう考えるのか。
著者の考えに対して、少し距離をとって、
「私」はどう思うのか。
本を読んでいて、著者の思考の流れに身を委ねることは快感だったりする。
しかし、そこには自分がなかったりするのではないか。
本とは別に、自分を傍に置く。
私の本との付き合い方は、どんどん「私」を消す方向に進んでいたように感じた。
本を読んでいて、私は10分も自分で考えただろうか。
思考に乗っただけではないか。
そう自問したとき、私は正直に乗っていただけだと思った。
私は、本との付き合い方を変えた。
自分を存在させた。
そこで、本を読む。
自分で考える時間を意識的に作る。
自分で考えているのか、思考に乗っているのか、
知識を得ているのか、疑っているのか。賛同しているのか。
私は長いこと、自分を消して本を読んだ。
怠惰な読書だった。楽な読書だった。
これからは、自分を存在させる。
自立した読書をする。楽じゃない読書をする。
それが必要な気がする。