東京国立博物館(以下トーハク)へ行ってきた。
上野は、人で埋められていた。
こどもの日だったからか、広場では絵本の市が開かれていた。
科学博物館では、ポケモンの催し物。
その間を縫いながら、国立博物館へ。
11年ぶり2度目のトーハク。
こう並ぶと、仏教に明るそうだけれども、全く詳しくない。
前回は、たまたま手塚治虫の「ブッダ」を読んでいたところ、展覧会があった。
今回は、美術館よりも、博物館の方がチケットが安かったから選んだ。
美術館は、これまで20回以上は行った。
博物館はほとんど行っていないと思う。
午前をカフェで過ごす。
小林秀雄の「埴輪」という文章を読んで、気持ちを高める。
埴輪や縄文土器などを見たい気持ちが高まる。
14:30頃にチケット売場に到着。
「空也上人と六波羅蜜寺」はチケットが完売するほどの人気らしいが、
特に見たくもないし、見ないでおこうと思っていた。
しかし、完売していなかった。
揺れる。
安く観覧したいがゆえのトーハクであったはずが、
揺れる。
ここで空也チケットを買ってしまっては、1600円だから美術館と変わらない。
1000円で常設展か1600円で空也+常設展か。
600円で空也は安いのではないかという考えが、頭を巡る。
しかし、初志貫徹しなくていいのか。
そんな優柔不断でいいのか。
いや、柔軟でしなやかな知性は固執しないものだ。
空也が600円は破格すぎる。
いや、おまえ空也のこと初めて知っただろ。
いろいろな意見が、自己の内部で渦巻く。
私は買った。
600円で空也を。
15:30からの回だったので、それまでを常設展で過ごす。
1階のジャンルごとの展示。
「半沢直樹」の撮影で使われた階段を登って、
2階で年代順の展示。
4000年前の土器や石器に、何らかの感動を覚える年齢になった。
学生の頃は、特に何も思わなかった。
しかし、4000年前の人がこれを使っていたんだという想像をすると、
時空を超えてここにあること、それ自体がとても奇跡に思えてきた。
学ばなければならない環境で、人が主体的に学ぶことは困難だ。
勉強しろと言われて、楽しんで勉強できるわけはない。
義務から離れてみて、見えてくるものがある。
そういうことも思った。
空也上人。
口から6体の仏様。
南無阿弥陀仏の6字を意味する説あり。
お経を具現化するのは、何だか現代アートのようだ。
運慶の息子の作品ということだった。
かなり写実的というか、違和感がない作品。
かなりリアルな人の口から、仏が出ているのはかなり違和感。
そんな違和感が現代アートな印象を与える。
久々に文化的な時間を過ごした。
4000年前に触れると、
現代のシステムや人のあり方が相対化されて、
新たな思考の道筋や感覚に気づく。
現代が、文化の最先端ではない。
現代のあり方がベストとは限らない。
時代は常に良くなっているとは限らない。
過去から学ぶ姿勢が、
もっと自分にはあった方がいいなと思う。