ステージ4癌の父、東京マラソン走る。

 

東京マラソン2024が終わった。

 

父が参加するために、仙台から上京した。

見事完走することができた。

 

70歳で42キロも走るなんて、

ちょっと考えられない。

しかも癌のステージ4で…。

 

前月の地元の大会で、

16キロ地点でリタイヤしたそうで、

不安を抱えつつハーフ地点を目標に走った。

 

母、子3人、妻2人の6人で、

4箇所で応援した。

小川町駅、神田駅、森下駅大手町駅

 

序盤は、参加者の皆さん笑顔で、楽しそうに走っていた。応援も声をかけつつ楽しかった。

 

さすがに25キロ地点になると、

必死の形相の人が多くなる。

 

その中でもコスプレ勢は元気だ。

応援をもらいやすいから頑張れるのか、

応援をもらってるから頑張っているのか。

 

マリオ、アンパンマン、鬼滅、進撃、ディズニー、ミニオン林家ペーパー…

 

東京マラソンは倍率11倍。

応募者全員が連続で応募したとして、

7年目で半数が当たる確率だそう。

 

ゴール付近を歩いていると、

「15年応募してやっと当たったよ。」

という声が聞こえてきた。

 

それは運が悪い笑

 

父は、2016年にも当選し完走している。

2020年も当選したが、コロナで中止。

2024年参加に延期。

 

父が癌に罹ったのは不幸なことだったけど、

家族の結束という面ではとてもよかった。

 

来年は応募しようかな。

映画「PERFECT DAYS」

 

万人受けする作品ではないような気がする、

という予想をしていた。

 

奥さんが、「どっちか観たい」と提案した2択のうちのこちらを選択した。

 

奥さんはあまりこういうストーリーのなさそうな映画は好まない。

どちらかというとわかりやすい映画が好きだと思う。

 

奥さんの2択のうち、

ひとつはこちらのわかりにくい系。

もうひとつはアイドル主演の分かりやすそう系。

 

私はいつもなら、奥さんの好きそうな方を選んでいたと思う。

今回は、おもしろそうだなぁと思っていたけど、存在を忘れていた作品を提案してくれた偶然に感謝して、自分の観たい方を選択した。

 

結果、

奥さんからは不評であった。

 

 

…さて、本作品はとてもいい映画だと感じた。

 

私の思う、いい映画の特徴は、

観終わってから感想があまりまとまらなかったり、なんだったんだろうという風になること。

 

現状では理解できずとも、

未来への種まき的な影響を受けられたら、

なんかいいなぁと思う。

 

本作品は、役所広司が、起きて、身支度して、トイレ掃除して、風呂入って、酒飲んで、本読みながら、寝る。という内容だ。

 

それを4日間くらい見せる。

そういったこと。

 

内容は、特にない。

 

平凡な日常にこそ、美は宿る的なことを映画で示そうとするとこうなるのか。

 

実はそれなりにイベントはあるのだけど、

重きを置かれているのは圧倒的にこちらの、

とるにたらない日常の方だろうと思う。

 

【ストーリー】

平山(役所広司)は、渋谷区のトイレ清掃員。

 

朝は近所のおばちゃんの掃き掃除の箒の音で目覚める。目覚ましをかけることはない。

なぜなら毎日が「同じ」だから。

起きられる。

 

目覚めて、布団をたたみ、

昨夜寝落ちした本をちらりと読み、復習。

 

歯を磨いて髭を整える。

はさみでちょきちょき。

 

服を着替えて、外へ出る。

空を見上げて、ほほえむ。

 

世界を愛してるような、

美しさを見つめているような表情。

 

自販機で缶コーヒーを買う。

これは毎朝同じ缶コーヒー。

 

缶を開けて、運転席に乗り込み、ひと口飲む。

 

どうでもいいところなんだけど、

普通は缶開けて飲んで、乗り込むか、

乗り込んで、缶開けて飲むかだと思うんだけど、なぜか毎朝先に缶開ける。

 

そうして、

スカイツリーが見えてきたら、

カセットテープで音楽をかける。

 

高速道路は、

平山の進む方は空いていて、

逆は渋滞している。

 

これは、平山が「普通」の人生ではなく、特異な人生を歩んでいることの表現かもしれない。

 

おしゃれなトイレを、

必要以上にきれいに清掃していく。

 

昼休憩はいつもの神社。

サンドウィッチをたべて、

フィルムカメラをぱしゃり。

現像するまでわからないやつ。

 

木漏れ日を撮る。

 

トイレ掃除終わったら帰って、酒飲んで、

本読んで寝る。

 

影による、1日のふりかえり。

※映像美の表現。芸術点を稼ぐ。

 

これが平日の流れ。

 

なんやかんやのイベントがいくつか入ってきて、平山がにやついたり、怒ったら、泣いたり、楽しんだりする。

喜怒哀楽。

キスされたら、ばっくれられたり、姪を守れなかったり、影踏みしたり。

 

土日は、銭湯行って、洗濯して、フィルム現像、写真の取捨選択、古本屋行って、いきつけのママのところへ行く。

 

そんなストーリー。

 

 

【印象】

この映画のわからないところは、

やっぱり影の存在。

また、ホームレスが出てくるけれども、

その存在もよくわからない。

 

ラストシーンの平山のなんとも言えない表情もよくわからない。

複雑さというか、いろんなものがまざったような。

 

つまるところ、解釈の余地が、

鑑賞者に委ねられているような表現が多く、

それがいいと思う人とよくわからないとする人が発生しそうだ。

 

平山が起きて布団をたたむシーンは、

毎朝あるけども、

その撮影の角度が毎朝違うのは、

毎朝が同じようでいて、異なることを表現するようでおもしろいとおもった。

 

今日も明日も地続きに見えて、

同じことの繰り返しだったとしても、

そのかけがえのない1日は、

きっぱりとその1日であって、

他の日と同じではない。

 

今日という1日を特別な1日として捉えることは、きっと人生を豊かにすると思う。

 

しかし、それがなかなか難しいことではあるが、この映画はそのことを浮き彫りにしてくれた。

 

今日という新しい1日を始めようと思う。

明日は明日。

人生の時間を緩めたいところ

 

「人生の速度を緩める」

モニカ・ルーッコネン

 

フィンランド人が教えるほんとうのシンプル」という本の中の言葉。

 

これはとてもいい言葉だし、

いい発想だなぁと思った。

 

普通は時間は一定に進むものとして捉えられる。または、受動的に時間が速く進んだり、

遅く進んだりする。

 

楽しい時間はあっという間。

 

しかし、能動的に時間を緩めるということもまた、可能なのかもしれない。

 

ふと、何もしない時間。ぼーっとする時間は、

とても豊かな、ゆっくりとしたような時間に感じることがある。

 

それを意図的に生活の中な取り入れるということは、かなり必要なことに思う。

 

瞑想とかヨガとかと似たような時間の過ごし方をもっと追求していきたいと思う。

 

 

裏金にしなくてはならないことも、かわいそう。

 

政治家の裏金。

 

今の政治家は、かわいそうだ。

どこにも目指すべき、真似るような国が世界になく、この「成熟」した国を成長させなくてはならないのだから。

 

政治にはお金がかかるが、

おおっぴらに収支報告書に書いたら批判されるのではないかと不安。

 

なんでも批判されるこの世の中で、

批判されないように生きることが、

政治家には求められてしまっている。

 

もはや身長が伸びない老人に、

身長を伸ばすように仕向けるようなものだ。

 

しかし、株価や国の威信を無視して、

日本は成長をやめて、そこそこの国を目指しますとは言えないのだ。

 

成長を目指さずに、成長を目指すという矛盾を抱えながら、政治家は今日も働く。

 

政治はお金がかかる。

そのお金が本当に必要なら、

もっとお金が必要だと国民に訴えたらどうだろうか。

 

それよりも、愚かな政治家を演じているつもりが、まさに愚かな政治家そのものになってしまっている、今の政治家たち。

 

もはや政治家とも言えないのかもしれない。

国ではなく、政局を見ているからだ。

 

愚かなふりをしているつもりの、

愚かな政治屋というのが、

今の国会議員の大半かもしれない。

 

かわいそうな国会議員。

クラシック音楽の沼の入り口に片足を。

 

有線のヘッドホンを購入した。

 

最近クラシックにハマってきている。

 

以前まではクラシックってよくわからないなぁとしか思わなかったけど、

昨年1年間くらいBGMにクラシックをかけるようになり、オペラ歌手の車田和寿さんという方のYouTubeをみるようになり、ハマってしまった。

 

未だ全体像はつかめないけど、

ただ気に入った曲をリラックスして聴く。

別に理解とかはする必要なしに身を委ねる。

 

車田さんの解説はとてもわかりやすい。

押し付けがましいところがない、

近年数少ない「大人」な方だ。

 

そんな魅力的な人から聞く話というのは、

とてもいいものだなぁと思う。

 

これまでワイヤレスのイヤホンを使ってきた。

しかし、あんまり音楽を聞かなかった。

たまーに聴きたくなった時だけ聴いていた。

 

クラシックにハマって、

有線ヘッドホンを買った。

有線イヤホンも買ってしまった。

ポータブルアンプも買ってしまった。

 

あれ、こんなに物欲あったっけ?と思うほどの買いようで驚く。

 

車田さんおすすめのAKGの、私は1番安いものを買った。

 

それでも今までのSONYのワイヤレスイヤホンとはくらべられないほどの音の立体感だった。

ピアノの音の響きが美しい。

空間を感じる。

 

そのうち、Apple MusicにクラシックアプリApple Music classical がリリースされた。

 

一つの曲でも、膨大な演奏者によるものがアップされている。

 

演奏者によって、指揮者によって、年代によって、異なる演奏の聴き比べが容易だ。

 

かつてのCD時代に、聴き比べをしようと思ったら、なかなか大変だ。

 

それを思うと、とてもありがたい。

 

一方で便利すぎて、一曲の重みみたいなのは、

相対的に減少するように思う。

 

だから、意識的に大事に聴こうと思う。

 

クラシック音楽のわからなさは、

慣れのなさによるのだと思う。

 

これはアートにもある。

ピカソのわからなさは、

見慣れていないことにある。

 

慣れは、とてもいいものだ。

 

教養は、伝えられるのか?

 

ファスト教養(レジー著)を読んだ。

 

教養とはよくわからないもので、

知識との違いもよくはわからない。

 

しかし、教養を掲げる動画は、

基本教養めいてないことが多いように思える。

 

教養は自らの内側から、自らの力で立ち上げるものなのかも知れない。

 

つまり、そもそも教養を授けるということは、

できないのかもしれない。

 

教養は、手渡した瞬間に死ぬのかも知れない。

教養は商品化できないものなのかもしれない。

 

知識は手渡せるが、教養は手渡せない。

 

自身の中で醸成させることが肝なのかも知れない。

 

本書に出てくるファスト教養の体現者たちは、

慶應義塾大学出身の方が多かった。

 

慶應義塾は一般に優秀だけど、

東大などの旧帝国大学と比べるとコスパがいい大学だ。

 

優秀と言われるけど、

教養の不足を感じている人も多い印象だ。

 

教養の不足を、教養を商品化しビジネス化することで、どこか補おうとしているのかも知れない。

 

教養を楽しむという心のあり方から遠く離れた、教養を使ってお金を稼ぐという行動。

 

それは、もしかすると虚しさからくるのではないだろうか。

 

何のためにもならない好きなこと。

こういうの好きだ。

鑑賞者が作品を完成させる時代。抽象画

 

抽象画は、作者が一旦完成させる。

 

でも、抽象画はよくわからない。

観るものにとって解釈が分かれる。

 

その線がなにを意味してるのか?

これが描かれた意味は?

 

様々な疑問が頭に浮かぶ。

 

そういった疑問を喚起するところに抽象画の意義はあるのかもしれない。

 

なんとなくいいなとか、好きとかそういう感想でもいい。

 

とにかく、ここで決定的なのは、

抽象画の双方向性みたいなことだ。

 

作品と鑑賞者を行き来する相互の変容。

 

作品は、作者によって一旦の完成を見たのち、

鑑賞者によって、本当の完成がなされる。

 

そしてその完成も時と共に、鑑賞者自身の変容によって変容していく。

 

つまり、

時と共に変化していくという4次元的な芸術と言えるかもしれないと、最近ハッとした。

 

ピカソは二次元平面に三次元を封じ込めた。

目は正対してるのに鼻は横から描くとか。

 

あとは絵の具を上から垂らして、

その運動を絵にするみたいな人もいる。

ポロック?みたいな名前の人。

 

抽象画は、わからない。

たぶん描いてる人も別に考えてない。

 

受け手も考えなくてもいい。

考えてもいい。

 

抽象画の自由は、

相互変容を許容してくれる。

 

作者が作品を完成させる時代から、

鑑賞者が作品を完成させる時代に来たのかもしれない。