国宝(映画)
映画の「国宝」を観てきた。
まず、映像美が素晴らしかった。
同じような構図がいろんな場面で再び出てくる
点もまた美しく感じられた。
色彩の美と形態の美が螺旋を描く。
そして、
螺旋を描くように主人公の2人の運命は交差し離れてはまた交差し…。
映画が素晴らしかったので、そのまま小説を買いに行って読んだ。
今まであんまり映画と小説の両方を経験することはなかったと思う。
こんなにも違う話にするんだなぁと衝撃を受けつつ、上下巻の小説を3時間ともなればそうなるかとも思い直す。
映画の中で描かれていない部分の答え合わせのように小説を読んでもそこには答えはない。
もはや映画は小説を離れ、
一個の独立した作品と見た方が何かと良い。
あらすじは割愛して、
自分の気づきを書いていく。
【紅白】
・父親が殺された際の、血と雪の紅白。
・それを見る喜久雄の唇と白粉の紅白。
・喜久雄と俊介の二人道成寺の早着替え衣装の
紅白。
歌舞伎自体の紅白の持つ意味みたいなのはよくわからないけど、とにかく紅白がたくさん出てきて、それが美しい。
映画見終わった時に、
タイトルは国宝よりも紅白とか血とかそっちじゃないかと思った。
【血】
・歌舞伎の血。
・渡辺謙と俊介の親子の血。
・喜久雄の非血。血縁の無さ。
・渡辺謙の吐血。
・喜久雄の父の死に際の血。
・渡辺謙と俊介の糖尿病遺伝という血。
・血をごくごく飲みたい喜久雄と
血を足かせに思う俊介。
血って書きすぎて血ってこんな字だっけ?となってしまったくらいに血。
喜久雄は父親を失い、血縁を無くした。
そこへ俊介のいる血縁の世界である大阪歌舞伎の家へ引き取られる。
◯仲良く歌舞伎に励み接近する2人。
◯次第に明らかになってくる2人の芸の差。
血がなくても、芸がある喜久雄。
血があっても、芸がない俊介。
華やかな成功の喜久雄。
落ちぶれて家出する俊介。
◯次第に明らかになってくる2人の血の差。
血のなさから降格していく喜久雄。
子を伴い戻ってくる俊介。
ヤクザの血筋であることが週刊誌にでる。
歌舞伎の血筋である彰子を利用し、血によってのしあがろうとするが失敗してドサ周りの喜久雄。
ドサ周りでボコボコにされて、
屋上でジョーカーさながらの踊り。
すんなり歌舞伎界に受け入れられ成功する俊介。
◯再び接近する2人
大活躍の俊介。
引退後の人間国宝万菊から見出された喜久雄。
2人で共演果たす。
俊介の糖尿病による片足の切断。血の逆襲。
血はいいことばかりじゃない。
◯死と栄光
俊介の死。
人間国宝に選ばれる喜久雄。
近づいては離れ、離れては近づく。
螺旋を描いて2人は互いに互いを両極としながら上昇し下降する。
血のない喜久雄は、結局結婚もせず、
血を正面から繋ぐことはなかった。
しかし、人間国宝として、
無形の文化をつなぐ者として存在した。
人間誰しも、親は死に、自らも死す。
子も死ぬし、孫も死ぬ。
血というものは、生きている間だけのフィクションかもしれない。
しかし、そのフィクションかもしれないものの形容し難い威力。
ここまでは映画版国宝の話。
スマホの呪縛
本を読むというのは、
なかなか難しいことになった。
大学生の頃は、スマホやパソコンから遠ざかることがある程度できていた。
それが、社会人になって難しくなるのは
なぜだろうか。
読書に時間を割くことが
できている時もある。
しかしながら、
それはごく一部になっている。
スクリーンタイムを制限するという手もある。
読書よりもスマホへの欲望の方が高くなるのは仕方ないから、
いかにスマホを遠ざけるか、そもそもスマホを操作できないような状況を作るか。
読書の難しさは、
その機会をつくることがそもそも難しいということ。
スマホに時間を取られる。
読み始めて集中し出すと、
それは問題にはならない。
まず、読み始める、その一歩がなんとも。
スマホを終えた時と、
読書を終えた時のどちらがいい時間だったと思えるかは、わりと後者のことが多い。
なのに、スマホを選んでしまうのは退化、怠惰の道なんだろう。
現に、今打ちつつあるこの文書もまたスマホによるのだ。
都知事選と道化。
都知事選が、もうまもなく。
ポスター枠でお金を儲けようとしたり、
ジョーカーコスプレで耳目をひいたり。
選挙の多様性が、すごい。
あまり好印象として語られないこれらのことも、
いい面もきっとあるんだろう。
ジョーカーの人の政見放送は、正直笑ってしまったのだが、
その人が「ほぼ全裸ポスター」の人だったと知って、なんとなく笑った自分が
嫌になった。
彼は投票率を上げようとしているようだ。
彼が当選することはないだろう。
自分でもわかっていると思う。
彼は問題提起をひたすらしているのかもしれない。
自らが道化となることによって。
彼を見ていると、
最近読んだからか、シェイクスピアの「リア王」に登場する道化を
思い起こした。
道化というのは、実際に存在したようで、
身分が保証されず、その代わり、言いたいことが言えた。
王に対して失礼なことも言えるし、そういうことが期待された存在だった。
もちろん言いすぎて、身を滅ぼすこともあったようだ。
ジョーカーに扮す彼は、自らを身分が保障されない地位に置きながら、
ー当選しないことによってー皮肉を言いまくる。
彼は道化となり、世の中や政治の問題を露わにしていく。
そんな一定の役割は果たしていると評価できるかもしれない。
ただ、私は彼に投票することはないだろう。
彼は道化のままでなくてはならないから。
ステージ4癌の父、東京マラソン走る。
東京マラソン2024が終わった。
父が参加するために、仙台から上京した。
見事完走することができた。
70歳で42キロも走るなんて、
ちょっと考えられない。
しかも癌のステージ4で…。
前月の地元の大会で、
16キロ地点でリタイヤしたそうで、
不安を抱えつつハーフ地点を目標に走った。
母、子3人、妻2人の6人で、
4箇所で応援した。
序盤は、参加者の皆さん笑顔で、楽しそうに走っていた。応援も声をかけつつ楽しかった。
さすがに25キロ地点になると、
必死の形相の人が多くなる。
その中でもコスプレ勢は元気だ。
応援をもらいやすいから頑張れるのか、
応援をもらってるから頑張っているのか。
マリオ、アンパンマン、鬼滅、進撃、ディズニー、ミニオン、林家ペーパー…
東京マラソンは倍率11倍。
応募者全員が連続で応募したとして、
7年目で半数が当たる確率だそう。
ゴール付近を歩いていると、
「15年応募してやっと当たったよ。」
という声が聞こえてきた。
それは運が悪い笑
父は、2016年にも当選し完走している。
2020年も当選したが、コロナで中止。
2024年参加に延期。
父が癌に罹ったのは不幸なことだったけど、
家族の結束という面ではとてもよかった。
来年は応募しようかな。
映画「PERFECT DAYS」
万人受けする作品ではないような気がする、
という予想をしていた。
奥さんが、「どっちか観たい」と提案した2択のうちのこちらを選択した。
奥さんはあまりこういうストーリーのなさそうな映画は好まない。
どちらかというとわかりやすい映画が好きだと思う。
奥さんの2択のうち、
ひとつはこちらのわかりにくい系。
もうひとつはアイドル主演の分かりやすそう系。
私はいつもなら、奥さんの好きそうな方を選んでいたと思う。
今回は、おもしろそうだなぁと思っていたけど、存在を忘れていた作品を提案してくれた偶然に感謝して、自分の観たい方を選択した。
結果、
奥さんからは不評であった。
…さて、本作品はとてもいい映画だと感じた。
私の思う、いい映画の特徴は、
観終わってから感想があまりまとまらなかったり、なんだったんだろうという風になること。
現状では理解できずとも、
未来への種まき的な影響を受けられたら、
なんかいいなぁと思う。
本作品は、役所広司が、起きて、身支度して、トイレ掃除して、風呂入って、酒飲んで、本読みながら、寝る。という内容だ。
それを4日間くらい見せる。
そういったこと。
内容は、特にない。
平凡な日常にこそ、美は宿る的なことを映画で示そうとするとこうなるのか。
実はそれなりにイベントはあるのだけど、
重きを置かれているのは圧倒的にこちらの、
とるにたらない日常の方だろうと思う。
【ストーリー】
平山(役所広司)は、渋谷区のトイレ清掃員。
朝は近所のおばちゃんの掃き掃除の箒の音で目覚める。目覚ましをかけることはない。
なぜなら毎日が「同じ」だから。
起きられる。
目覚めて、布団をたたみ、
昨夜寝落ちした本をちらりと読み、復習。
歯を磨いて髭を整える。
はさみでちょきちょき。
服を着替えて、外へ出る。
空を見上げて、ほほえむ。
世界を愛してるような、
美しさを見つめているような表情。
自販機で缶コーヒーを買う。
これは毎朝同じ缶コーヒー。
缶を開けて、運転席に乗り込み、ひと口飲む。
どうでもいいところなんだけど、
普通は缶開けて飲んで、乗り込むか、
乗り込んで、缶開けて飲むかだと思うんだけど、なぜか毎朝先に缶開ける。
そうして、
スカイツリーが見えてきたら、
カセットテープで音楽をかける。
高速道路は、
平山の進む方は空いていて、
逆は渋滞している。
これは、平山が「普通」の人生ではなく、特異な人生を歩んでいることの表現かもしれない。
おしゃれなトイレを、
必要以上にきれいに清掃していく。
昼休憩はいつもの神社。
サンドウィッチをたべて、
フィルムカメラをぱしゃり。
現像するまでわからないやつ。
木漏れ日を撮る。
トイレ掃除終わったら帰って、酒飲んで、
本読んで寝る。
影による、1日のふりかえり。
※映像美の表現。芸術点を稼ぐ。
これが平日の流れ。
なんやかんやのイベントがいくつか入ってきて、平山がにやついたり、怒ったら、泣いたり、楽しんだりする。
喜怒哀楽。
キスされたら、ばっくれられたり、姪を守れなかったり、影踏みしたり。
土日は、銭湯行って、洗濯して、フィルム現像、写真の取捨選択、古本屋行って、いきつけのママのところへ行く。
そんなストーリー。
【印象】
この映画のわからないところは、
やっぱり影の存在。
また、ホームレスが出てくるけれども、
その存在もよくわからない。
ラストシーンの平山のなんとも言えない表情もよくわからない。
複雑さというか、いろんなものがまざったような。
つまるところ、解釈の余地が、
鑑賞者に委ねられているような表現が多く、
それがいいと思う人とよくわからないとする人が発生しそうだ。
平山が起きて布団をたたむシーンは、
毎朝あるけども、
その撮影の角度が毎朝違うのは、
毎朝が同じようでいて、異なることを表現するようでおもしろいとおもった。
今日も明日も地続きに見えて、
同じことの繰り返しだったとしても、
そのかけがえのない1日は、
きっぱりとその1日であって、
他の日と同じではない。
今日という1日を特別な1日として捉えることは、きっと人生を豊かにすると思う。
しかし、それがなかなか難しいことではあるが、この映画はそのことを浮き彫りにしてくれた。
今日という新しい1日を始めようと思う。
明日は明日。
人生の時間を緩めたいところ
「人生の速度を緩める」
モニカ・ルーッコネン
「フィンランド人が教えるほんとうのシンプル」という本の中の言葉。
これはとてもいい言葉だし、
いい発想だなぁと思った。
普通は時間は一定に進むものとして捉えられる。または、受動的に時間が速く進んだり、
遅く進んだりする。
楽しい時間はあっという間。
しかし、能動的に時間を緩めるということもまた、可能なのかもしれない。
ふと、何もしない時間。ぼーっとする時間は、
とても豊かな、ゆっくりとしたような時間に感じることがある。
それを意図的に生活の中な取り入れるということは、かなり必要なことに思う。
瞑想とかヨガとかと似たような時間の過ごし方をもっと追求していきたいと思う。