あなたが食べたものが、あなたである。
あなたが読んだものが、あなたである。
環境が、その人を規定する。
そういうことがある。
食べ物に関しては、美味しいものを食べたいと思う。
人生で食べられる食事の回数は、限界がある。
しかし、人は最後の日を想定して生きてはいない。
死の訪れは分かっている。
分かっているけれど、
普段から意識することはなかなか、ない。
栄養が偏った食事を続ければ、偏ったカラダになるのは、道理だ。
毎回同じ食事をとっていたら、食の感性は、広がらない。
いつもと違う食事内容を、折に触れてとることは、
感性を広げてくれる。
何を見るか。
私はテレビを捨てた。
つけていると、つい見てしまう。
あっという間に数時間が経過する。
そして、見終わった後で、得たものがあまりない気がしてしまう。
見ている最中は楽しいのに、見終わって残念な気持ちになる。
また、ニュースは基本的にネガティブなものが多いから、
見過ぎないようにしている。
危険を知らせるのが、ニュースの役割でもあるし、
危険な情報の方が耳目を引くから、視聴率という観点からもTV局にとってはいい。
情報の受け手としては、あんまり暗いニュースや危険なニュースばかり見ていては、
ネガティブになってしまう。
日々の接する情報を、自分で選択していった方がいいのだろう。
右翼の人に、左翼の新聞を読んでもらうと、
左翼化する傾向があることが分かっている。
逆も然り。
日々の情報を、どのように拾うか、捨てるか。
TVニュースは捨てた。
人は、偏食を生きているし、偏見を生きる。
どんな偏見を持って生きるか、がその人だから、
無節操に情報を拾わないことが大切。
目の前のことを、もっと大切にしていきたい。