教養は、伝えられるのか?

 

ファスト教養(レジー著)を読んだ。

 

教養とはよくわからないもので、

知識との違いもよくはわからない。

 

しかし、教養を掲げる動画は、

基本教養めいてないことが多いように思える。

 

教養は自らの内側から、自らの力で立ち上げるものなのかも知れない。

 

つまり、そもそも教養を授けるということは、

できないのかもしれない。

 

教養は、手渡した瞬間に死ぬのかも知れない。

教養は商品化できないものなのかもしれない。

 

知識は手渡せるが、教養は手渡せない。

 

自身の中で醸成させることが肝なのかも知れない。

 

本書に出てくるファスト教養の体現者たちは、

慶應義塾大学出身の方が多かった。

 

慶應義塾は一般に優秀だけど、

東大などの旧帝国大学と比べるとコスパがいい大学だ。

 

優秀と言われるけど、

教養の不足を感じている人も多い印象だ。

 

教養の不足を、教養を商品化しビジネス化することで、どこか補おうとしているのかも知れない。

 

教養を楽しむという心のあり方から遠く離れた、教養を使ってお金を稼ぐという行動。

 

それは、もしかすると虚しさからくるのではないだろうか。

 

何のためにもならない好きなこと。

こういうの好きだ。