ぼーっとすることの幸福論

 

ここ最近は、ベランダでぼーっとする時間を過ごしている。

 

椅子に座って、空を眺めたり、

瞑想したり、ぼーっとしたり。

 

そんな時間は、社会的にはむだな時間だとおもう。

何かお金になることや、成長につながること、

つまり未来のために現在を差し出す生き方が、

常識的になっている。

 

ぼーっとすることは、悪者だ。

 

 

私は、ともするとスマホに時間を取られるし、

休みとなれば勉強でもするかとなってしまう。

 

そんな衝動を抑えて、

ぼーっとすることをあえて選ぼうとおもう。

 

その方が、しあわせだから。

 

しあわせは、目の前にあったり、

足元にあったりする。

ぼーっとすることで味わえる。

 

そうわかっていても、

スマホから逃れることはむずかしい。

 

だから、仕事から帰ってきたら、

まずベランダでぼーっとすることにした。

 

朝起きたらベランダでぼーっとする。

 

ぼーっとすることをシステム化しなくては、

スマホの誘惑には抗えない。

 

なぜ生きるのか。

 

答えはないけど、

不幸せを感じながら生きるよりか、

しあわせで生きていたい。

 

それはきっと、

他人にもしあわせを届ける。