GWぼーっとして過ごす。それが今を生きることだ。堕落ではない。一生懸命だ。

 

今週のお題「何して遊ぶ?」

 

まとまった休みがあれば、何かしなきゃってなる。

空白を埋めようとする悪癖が、資本主義の精神なのかも。

 

何も消費せず、何も生み出さない空白。

そんな空白のGWを過ごそうと思う。

 

いや、わかっている。

そんことはできっこない。

 

何も消費しないなんて。

何も生み出さないなんて。

 

まぁ無理なので、ぼーっとする時間を多めに過ごそう。

 

今という時間を、未来から切り離して体験したい。

今という時間を、過去から引き剥がして、体験した。

 

今という時間を、今、体験したい。

 

今という時間は一瞬で過ぎ去る。

今という一瞬を、積み木みたいに重ねて、

一瞬の今と一瞬の今の自分を、一対一で照らし合わせて、

一瞬を体験し続けるという意識でぼーっとしたいと願う。

 

何を言ってるのかよくわからないだろうと思う。

自分でもよくわからないから。

 

とにかく、

ぼーっとすることに決めて、

赤ワインを買った。

 

ただの飲んだくれの時間だなと総括されるようなこの2日間。

しかし、自分の中では時間を無駄にしたとは思っていない。

思わないようにしているのではない。

今までなら、時間を無駄にしたなと思っていたような時間の使い方なのだけれど、

不思議と心からほんの少しの充実感がある。

 

今を生きるってなかなかできないことだ。

過去を再生しがちだし、

やらなきゃいけないことや将来への漠然とした不安を、

今に持ち込みがちだ。

 

そうして「今」は濁る。

 

澄んだ今を体験するには、

今を今として体験する意思と、少しの努力が必要だ。

 

少しの努力は、人によってはとてつもないかもしれない。

スマホを1時間見ないこと。

 

スマホを机に出して、

1時間観ないのは無理だ。

 

スマホは隠す必要がある。

 

今を生きるとは、

スマホを隠す意思と、誘惑に負けない努力とも言える。

 

サウナいって、

うどん食べて、

赤ワインを飲みながらぼーっとして、

ベランダで誰がみるわけでもないこの文章を書いている。

 

あぁ、必要に迫られないこの時間こそがGWにふさわしい。

この無意味さ、有意義な無意味さ。