土。
なぜ植物が生きていけるのかと思うことがある。
昨年から観葉植物を飾るようになった。
ゴムの木、ショウナンゴムノキ。
土を鉢に入れて、
カーテン越しに日が当たるように配置。
時々水をやり、葉に水をやったりする。
空気も大事だそうで、たまに窓を開ける。
ただそれだけで生きていけるとは…。
光、水、土、風。
植物は強いなと思う。
人は、何でも食べる。
肉、魚、植物、蜜、乳、お菓子…。
植物のコスパがあまりにもよくて驚く。
しかしながら、
土とはなんだろうか。
土に栄養があるとはとても思えない。
それは私たちが食べないから、
そういうフィルターで見てしまうのだろうか。
調べてみると、
かなり深い世界だ。
深すぎてあまり理解できていない。
ただ、生き物は土に帰るというように、
土はかつて生きていた者たちなのだろう。
土の中には、
今まさに生きている微生物がいるし、
かつて生きていた者がいる。
そう考えると、
土は、時間を超えた生物たちの集合を思わせる。
土の中に、時間の凝縮を見出すこともできなくはない。
わたしは土を再考した。
土にものすごさを見出した。
「大地の五億年」という本を読んでいる。
まだ32ページ目だけど。
周りにある湿気は、
10時間前までは海だった!
海の水は、10時間後には、
私たちを包んでいる。
このスピード感は、
想像を超える。
地球の公転速度が、
時速10万キロメートルっていうのも想像できない。
想像できない速度に囲まれて、
我々は、想像できる程度の社会の変化にあくせくしている。
植物に水をやるのは、
考えようによっては無駄な時間だ。
忙しい中で、なぜさらに忙しくするのか。
やることを増やすのか。
しかし、不思議と、植物に水をやることは、
気持ちがいい。
時間をすこしゆっくりとさせるというか、
その瞬間を生きているという実感が伴う。
フェイクグリーンも飾って、
天井から吊るして、
インテリアを緑化することがたのしい。
ポケモンもモンハンもあつ森も、
人間の根源的な本能に訴えかける。
直接体験できなくなりつつあるものごとを、
ゲームの中に再現して、体験させてくれる。
わたしはどれもやらないけれど。
自然から独立した存在としての人間観は、
自然を思うがままに操ろうとしている。
しかし、そんなことはできっこない。
コロナは、図らずも、
われわれは生態系の一部であることを思わせてくれた。
そのことには感謝したい。