人の理性って、そんなに理性的じゃないんじゃないか。

 

やっぱり、領土って大きくしたくなるんだろうなぁ。

 

前に持っていた領土が、没収になったら、取り返したいという気持ちになるんだろうな。

隣国に、自分の国の人がいて、攻撃されそうになっていたら、

助けなきゃと思うのだろう。

 

でも、それが前回決めた約束を破るものだったら。

その約束が、前回の勝者が決めたのだとしたら、どうだろう。

押し付けられた約束と思うだろうか。

 

今の約束事は、一方は普遍的でまっとうだと思っている。

もう一方は、押し付けられたと思っている。

 

どちらも「正しい」のかもしれない。

 

結局、勝者が約束事を決めてきたのだから、

敗者は、従うか、従わないか。

 

領土を拡大したいというのは、

逆に言えば、領土を縮小したくないということか。

 

ソ連時代と比べて、周りの国がどんどん離れていく感覚が怖いのだろうか。

勝者側に寝返るように、NATOに加入していくことが、

ついに自国まで迫ってきていることの恐怖があるのだろうか。

 

国境は、人為的なものだ。

だから変更可能だ。

 

国境の線を引いたのは誰か。

国境の線を守らせるのは誰か。

国境の線を引かれてしまったのは誰か。

 

自然としての地球に、国境は存在しない。

しかし、人は国境を作らなくては、安心できない。

 

動物のなわばりと同じかもしれない。

なわばりを侵されそうになっていたら、

先手必勝で攻撃の構えを取ることは、

理にかなっている。

 

しかし、それは「今」のルールにはかなっていない。

 

理性的であるというのは、自然状態ではない。

理性は結構信用できない。

 

理性的に考えていない時は、本当にこわい。

 

もし、これから戦争が第3次世界大戦になって、

人類がいなくなったら、

それは、人には理性などなく、他の動物同様に、

絶滅したということだろう。

 

人は、もっと理性的であったほうがいいけれど、

人は、それほど理性的ではない。

 

理性だけではつまらない。

感情だけでもおぼつかない。

 

縮小したくないから、

拡大する。

 

前回負けたから、

今回は勝ちたい。

 

我々の立っている場所は、もろい。

歴史を経るごとに、進歩しているわけではない。

 

2000年前の人だって、十分理性的だ。

今よりもっと、かもしれない。

 

核があるってのは、厄介なことだ。

絶滅するんだから。

 

絶滅しないギリギリのラインを探りつつ、

自国の主張を通すように行動する知性が、

果たして人にあるのか。

 

結局、いつか戦争になるのではないかと思う。