エマニュエル・トッドの「第三次世界大戦はもう始まっている」を読んでいる。
タイトルが主題とは言えないと思う。
出版社の販売目的のタイトルづけだと思う。
大局的な観点からの意見で、
人口学者、人類学者の観点で、おもしろい。
トッドさんの本は、4冊くらい持っていた気がする。
絶対にこうだ!というような強硬な意見ではなく、
やわらかい思考というような、しなやかな知性を感じる人だ。
今回の本は、ウクライナ戦争関連の内容だ。
自国フランスでは、感情的な反応ばかりが飛び交い、彼はうんざりしている。
本件に関しては、この本の内容が初めての表明だったとのこと。
私は、最近あまりウクライナ戦争については追っていない。
あえて情報を入れないようにしている。
それは、あまりにも親ウクライナ、親米的な報道ばかりに思えるから。
どんな情報に接し続けるか、によってその人の意見は作られる。
だから、アメリカ側に偏った日本の報道に接し続けることは、
大抵の日本人の意見に同化することを意味する。
そして、親ウクライナになる。
そしてそれが、「偏っている」ということを忘れさせる。
私は、アメリカーNATOーウクライナという勢力に違和感を感じる。
ロシアを悪に仕立てることで、勢力を拡大していくアメリカの方法は、
結局、世界のためにならないと思う。
ロシアから見た世界は、どうなっているのかを知りたい。
しかし、この報道や分析は少ない。
なぜならば、日本はアメリカと意見を同じくしなくてはならないから。
報道は自由ではない。
連日のように、ウクライナ国内の惨事が報道されているようだ。
ロシアの兵器が脅威として報道される。
ウクライナのゼレンスキーが、
ロシアという大国から戦争を仕掛けられた無実の英雄として、
反ロシアの広告として、活用されている。
彼は、政治家ではない。政治屋なのではないか。
元々コメディアンであったことは、資質には関係ない。
しかし、ドンバス地区の首長をテロリストと呼んだり、
自爆ドローンで自国民を虐殺したことは、
資質として疑わしくもある。
そういう報道は、テレビでは無理なのか。
商業に結びつきが強すぎて、
報道ができないのだろうか。
視聴率やスポンサーを優先すると、
難民の報道、戦争の惨状を報道することを優先するだろう。
視聴率は低くていいし、自分の社内評価も下がるけど、
両国側からの「真実」をできる限り公平に努めて報道するという矜持がある人間は、
テレビにはいない。
いたとしても、構造的に不可能なのだろう。
一人では、きっとできない。
本書は、ロシアへの理解を示している。
ロシア目線も書かれている。
しかし、立場は弱いだろう。
構造的に弱くなざるを得ないところに、
かなしさがある。
加速度的に近視眼的になっていく世界で、
いかに遠くを見渡せるか。
新幹線に乗りながら、
駅の看板の文字を読むことは、なかなかできない。
まず新幹線から降りること。
もっと言えば、自分は新幹線を降りる必要があるということの自覚が必要だ。
我々は、まず今が加速度的にやばい状況の中にいることを認識したい。
戦争がやばいんじゃなくて、その手前がまじでやばいのだ。
手前の今立っているこの認識が。