美味しんぼの批評性

 

美味しんぼ」がおもしろい。

 

Amazon primeで5周くらいしている。

 

何がおもしろいのか。

 

昭和っぽさが、濃厚に出ているところか。

我々が時代に縛られていることを思わされる。

 

その時代特有の価値観というものがある、

ということをこのアニメを通じて、学ぶことになる。

 

ファッションも髪型も言葉も、

今とは違う。

 

その時代に最先端のものは、

のちの時代には当然古くなる。

 

昭和の映像を見るとダサく感じる。

令和の映像も、後の〇〇の時代から見れば、

ダサいだろう。

 

歴史は繰り返す、螺旋階段状に。

 

螺旋階段を登るとき、

それを上から見れば同じ円を回っているだけだ。

横から見れば、上昇している。

 

歴史は、

上から見れば繰り返しており、

横から見れば変わっている。

 

歴史は同じことは繰り返さない。

 

美味しんぼのファッションは、

今また流行り出している。

 

ぐぅたら社員の山岡さんは、

料理にかけては天才的だけど、

天才すぎず、人間的だ。

 

人としての大切な部分を、大切にしながら、

仕事はあまりしない。

 

この時代では、社外の人間が普通に仕事場へ入ってくる。

 

受付とかないのだろうか。

 

現代のあくせくした感じはない。

セキュリティーもないし、

売上至上主義的でもない。

 

発展途上国から先進国への階段を登ると、

そこは修羅場だ。

 

時間がものをいう。

いかに時間を早くするか。

いかに他社に先駆けていくか。

いかに先を読むか。

いかに未来を現在にもってくるか。

 

そういうことが、大切になってくる。

 

山岡さんは、ばからしいというだろう。

たいせつなことは、そこにはないと。

 

しかしながら、人はそんな社会を築いてしまって、止めることができなくなっている。

 

成長し続けなくてはいけない社会。

この呪縛のなかで、ひたすら進んでいった先に

待っているのは、どんな未来だろうか。

 

「現在」を飛ばす特急列車に乗って、

我々を待つのは、何か。

 

水平的に土地を探し、

垂直的に宇宙開発し、

異次元的に未来の価値を現在価値に組み込み、

拡大し続ける我々は、いつか縮小するだろう。

 

人類の叡智の破綻が、

人類の滅亡という結果をもたらして、

それが地球の他の生物にとって致命的でなければいいのだけれど。

 

覇者恐竜の絶滅が、外部からの隕石の衝突で終わったのとは対照的に、人類は、自分達の行動がもたらした環境の変化への適応ができずに淘汰されるのかもしれない。

 

おいしんぼは、

昭和を描くことで、

現在が失っているものを浮き彫りにする。

 

私が飽きもせず、美味しんぼを楽しめるのは、

そこらへんかもしれない。