想像力と自他。

 

ブルーカラーの仕事。

 

ホワイトカラーでブラックな仕事をする人生と、

ブルーカラーでホワイトな仕事をするのではどちらがいいのだろうか。

 

ホワイトでホワイトな仕事もあるだろう。

 

兎にも角にも、自分が何を求めていて、

自分の基準を持っていることが大切だ。

 

自分以外の基準で生きることは、不幸になりかねない危うさがある。

一流と言われる会社に入ることは、目的ではなく手段だ。

 

人は生きるために、働く。

しかし、ともすると、働くために生きがちだ。

働くのが辛くて、死ぬものもある。

 

自殺。

 

目的を欠いた仕事に、意味を見出すことはできない。

巨大な仕事の中で、自分の役割が小さすぎて、意味を見いだせないこともあるだろう。

 

一方で、小さな仕事でも、世界に繋がっていることはわかっている。

我々は、どうしても意味を見出したくなる。

意味なしには生きられない。

 

意味は、人生を豊かにしてくれるし、

人生を儚くもする。

 

私は、あくせく働きたくないけれど、

人の役に立ちたいと思っている。

 

自分のために一生懸命働くことは、いい結果をもたらすこともあるが、

他人との摩擦を生みかねない。

それが、仕事全体を俯瞰したときに、マイナスになることもある。

 

人と強調しながら、自分の役割を果たすことができるのは、人格者だ。

人格者は、自分を持っているが、周囲に配慮することができる。

 

自分に執着することは、多くの人に備わっている。

人に執着することはなかなかできない。

 

真に人の話を聴くことは、とても難しい。

自分のために、話を聴きがちだ。

 

自分の経験と照らして、

共感できるものだけに反応して、

自分の話を始めてしまう。

 

相手の話をとってしまうことは、

自分への執着だ。

 

人は、話を聞けば何かを思う。

その場で感想を抱いたり、関連する過去の経験を思い出したりする。

 

それらの反応を自制することが、まず難しい。

感想や過去の経験が思い浮かぶけれども、

一旦置いておいて、相手の話を聴くことに集中する。

 

人は、他人に話を聴いてもらいたい欲求がある。

その欲求よりも、他人の聞いてもらいたい欲求を優先することは、

困難なことだ。

 

人は結局、相手のことをそれほど考えていない。

自分が、すっかり相手になりきって、ものを考えることはできることではない。

 

自分が相手の身体で、相手の経験を経験して、今ここにいる。

そして、自分の経験をマイナスする。

 

そんな芸当が果たしてできるのだろうか。

 

自分だったら、こうする。

自分が、相手の境遇に立っていたら。

 

自分が、相手だったら。

相手が、相手の状況で、何を思い、何をしたらいいのか。

 

想像力の使い道。

 

働くことは、他人のためになる。

本当に働くとは、本当に人を想像することだ。