人間はただの管であるともいえる。
食べ物を食べて、出す。
食べ物は、食道やら、腸やらの管を通過する。
血を巡らすのも、酸素を運ぶのも管。
輸血も管。
人の一生も管みたいなものだ。
自分の管を子の管に紡ぐ。
そうして人類の管が途切れることなくつづく。
管が朽ちないのは、生と死が繰り返していくから。
人は死ぬために生きて、生かすために生きる。
生かされて、生かして、死ぬ。
私たちは、ただの管で、
パスするために存在する。
個人の人生を、享楽的に生きることはどうか。
自分の人生を、自分だけのものにすると、
その人生は、腐る。
パスしなくては、生かされない。
利他的に生きるということは、
ひとつのパスで、
情けは人の為ならずも、パスだ。
人は、そもそもパスすることを宿命づけられていて、ゆえにパスする人が評価を受ける。
そして、世界を少し前にすすめる。
私は、ただの管だ。
管だから、何かをパスしなくては。