詩、短歌、俳句って、苦手だ。
やんわり伝える美学みたいなものなのか、
よくわからないでいた。
今もあまりわからない。
しかし、いくつか詩を読んだことで、
詩のよさみたいなものは感じられるようになってきた。
なんだかんだで15冊くらいは、
本棚にある。
--------------------
長田弘さんの「世界は一冊の本」
本を読もう。
もっと本を読もう。
もっともっと本を読もう。
書かれた文字だけが本ではない。
日の光、星の瞬き、鳥の声、
川の音だって、本なのだ。
ブナの林の静けさも
ハナミズキの白い花々も、
おおきな孤独なケヤキの木も、本だ。
本でないものはない。
世界というのは開かれた本で、
その本は見えない言葉で書かれている。
ウルムチ、メッシナ、トンプクトゥ、
地図のうえの一点でしかない
遙かな国々の遙かな街々も、本だ。
そこに住む人びとの本が、街だ。
自由な雑踏が、本だ。
夜の窓の明かりの一つ一つが、本だ。
シカゴの先物市場の数字も、本だ。
ネフド砂漠の砂あらしも、本だ。
マヤの雨の神の閉じた二つの眼も、本だ。
人生という本を、人は胸に抱いている。
一個の人間は一冊の本なのだ。
記憶をなくした老人の表情も、本だ。
草原、雲、そして風。
黙って死んでゆくガゼルもヌーも、本だ。
権威をもたない尊厳が、すべてだ。
2000億光年のなかの小さな星。
どんなことでもない。生きるとは、
考えることができると言うことだ。
本を読もう。
もっと本を読もう。
もっともっと本を読もう。
--------------------
まとめると、以下かな。
本の中だけから学ぶのではなくて、
現実の中から学ぶことが大切だ。
しかし、まとめても意味がない。
まとめると死ぬ。
それが詩の個性な気がする。
詩は端的ではない。
語りすぎもしない。
その絶妙にわかるような、
わからないような、
ぎりぎりな表現だ。
詩はわからなくてもいい。
わからない詩の方が多い。
たまーに、わかる詩があらわれる。
わかる詩は、年齢と共に変わるだろう。
それもひとつの詩の楽しみ方かもしれない。