詩は、わからなくていい。

 

詩、短歌、俳句って、苦手だ。

 

やんわり伝える美学みたいなものなのか、

よくわからないでいた。

 

今もあまりわからない。

 

しかし、いくつか詩を読んだことで、

詩のよさみたいなものは感じられるようになってきた。

 

谷川俊太郎さん、銀色夏生さん、

長田弘さん、まどみちおさんなど。

 

なんだかんだで15冊くらいは、

本棚にある。

 

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長田弘さんの「世界は一冊の本」

 

本を読もう。
もっと本を読もう。
もっともっと本を読もう。

書かれた文字だけが本ではない。
日の光、星の瞬き、鳥の声、
川の音だって、本なのだ。

ブナの林の静けさも
ハナミズキの白い花々も、
おおきな孤独なケヤキの木も、本だ。

本でないものはない。
世界というのは開かれた本で、
その本は見えない言葉で書かれている。

ウルムチ、メッシナ、トンプクトゥ、
地図のうえの一点でしかない
遙かな国々の遙かな街々も、本だ。

そこに住む人びとの本が、街だ。
自由な雑踏が、本だ。
夜の窓の明かりの一つ一つが、本だ。

シカゴの先物市場の数字も、本だ。
ネフド砂漠の砂あらしも、本だ。
マヤの雨の神の閉じた二つの眼も、本だ。

人生という本を、人は胸に抱いている。
一個の人間は一冊の本なのだ。
記憶をなくした老人の表情も、本だ。

草原、雲、そして風。
黙って死んでゆくガゼルもヌーも、本だ。
権威をもたない尊厳が、すべてだ。

2000億光年のなかの小さな星。
どんなことでもない。生きるとは、
考えることができると言うことだ。

本を読もう。
もっと本を読もう。
もっともっと本を読もう。
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まとめると、以下かな。

 

本の中だけから学ぶのではなくて、

現実の中から学ぶことが大切だ。

 

しかし、まとめても意味がない。

まとめると死ぬ。

 

それが詩の個性な気がする。

詩は端的ではない。

語りすぎもしない。

 

その絶妙にわかるような、

わからないような、

ぎりぎりな表現だ。

 

詩はわからなくてもいい。

わからない詩の方が多い。

 

たまーに、わかる詩があらわれる。

 

わかる詩は、年齢と共に変わるだろう。

それもひとつの詩の楽しみ方かもしれない。