人は、食べたものでできていて、
人は、観たものでできていて、
人は、聞いたものでできていて、
人は、触れたものでできていて、
人は、嗅いだものでできていて…
どんな偏り方をした情報に接しているか、
という問いを自分に持つことは、
時に大事だ。
陰謀論めいた情報をYouTubeで見ているうちに、陰謀論者になることもあるかもしれない。
人は、触れたものでできているから。
右翼の人に、左翼的な新聞を読んでもらう実験。左翼的になるという結果。
逆も然り。
昨日、職場の人が、ワクチンを打っていないと言っていた。
選択は自由だ。
理由は、ワクチンが短期間にできたのがおかしいということだった。
その思考の背景にあるのはなにか。
YouTubeで、
陰謀論の動画を見てしまうとのことだった。
しかし、
正面から信じてるわけではないと言っていた。
人は、観たものでできている。
信じる、信じないの姿勢に関わらず、
観たという事実が、その人を、変えてしまう。
人は、それほど固定されてはいない。
強くない。
私は、陰謀論を信じないし、
観ないし、触れない。
いや、
観ないし、触れないから、
どんなものかわからず、
信じることがない。
陰謀論に取り込まれている人を前にして、
私は無力だ。
その人を変えようとも思わなかった。
これは非情とも思った。
しかし、人は人を変えられないとも思う。
その場では、
その陰謀論を聞きはする。
そして否定をしない。
その選択でよかったのだろうか。