自分の身体を通さないと、
身体が阻害されていく。
人は、自分の身体のことをしている時に幸せを感じやすいと思う。
または、精神。
たとえば、マッサージは幸せだ。
運動もなんだかんだスッキリする。
瞑想もヨガもそんなところ。
性的な活動もそうだ。
まず、身体が幸せな根源にあるんだ。
スマホで、他人の幸せな言葉や映像を見ても幸せを感じられないのは、そのせいだと思う。
他人の身体経験は、自分の身体を通していない。
一方で、共感というものがある。
これで喜怒哀楽が感電する。
しかし、幸せというものは、共感によって伝わらないのじゃないだろうか。
より多くスマホによって
他人の幸せを覗いた人は、
より多く幸せを感じているか。
どうも逆のよう。
他人ことを見れば見るほど、
幸せは逃げていく。
だから、
まず自分を見つめよう。
それだけで、幸せになれる。
理由はわからない。
でも少し幸せを感じられるはず。
自分を見つめる方法はいくつかある。
感情、考えを紙に書く。
瞑想。
ぼーっとする。
筋トレ
ヨガ。
ニーチェも、自分の足元に宝がある的なことを言っていた気がする。
それが最近身に沁みてきた。
幸せは、マネすることでも、物を集めることでもなく、自分を見つめることで出てくるものなんだろうなと。
自分の幸せなんて、
そんな大切ではないという考え方をしていた自分が、まさかこうなるとは。