働くことの嘘

 

一体、我々はよりよく生きるために働いているのか、働くために生きているのか。

 

他人と支え合って生きているのだから、

結局他人のために多くを働けば自分に返ってくるよといいながら、1日20時間も働くのはむずかしい。

 

1日を3で割って、8時間。

睡眠、生活、仕事を8時間ずつっていうのが、

やっぱバランスが取れてるといわれてる。

 

睡眠を除いた16時間を半分ずつ、

自分と他人に振り分けている。

 

半分っていうのが、どうだろうか。

多いか少ないか。

 

8時間という数字はどこから生まれたんだろう。

働かせすぎってことで、時間が縮小してきた歴史はあるんだろう。

NIKEの問題とか。

 

だから、この経済を成り立たせるのに必要な時間は、他人のために働かなきゃいけないんだろう。

 

その必要な時間は、きっと慣習によるもので、

根拠はないのだろう。

 

だから、

今後はもっと短くなる気がする。

 

社会は劇的に変わると歪みができるから、

徐々に変わっていくのがいいだろう。

 

会社は利益のプレッシャーに晒されてるわけで、利益少なくてもかまわないという会社はなかなかない。

 

競合が少ないか、模倣困難でなければ。

 

でも、利益を求めて人を捨てる経営は、

淘汰される時がくる。

 

会社という人間を拵えたのは発明だけど、

発見ではない。

 

つまり、もともとない物だから、

普遍的ではない。

 

普遍的でないものを普遍的なものとして扱わなくてはならない経済体制が、普遍的であるはずもない。

 

我々は、この嘘にどこまで乗るべきなのだろうか。