学ぶとは、運動のことだ。

 

学生時代の勉強は、大抵忘れ去られる。

 

以下のように、言われたりする。

 

勉強しても忘れるなら、

勉強しなくていいじゃないか。

勉強しただけムダじゃないか。

 

勉強は、社会に出てから使わないことの方が多いって大人が言ってるから、勉強しない。

 

まさにそのとおりで、

人は忘れるし、教科書の内容がそのまま社会で役に立つことも稀な気がする。

 

しかしながら、勉強というのは、

その内容以外に意義があるような気がする。

 

それは、以下のようなもの。

 

勉強する環境を整えること。

やる気がでなくても、勉強を続ける工夫。

内容の覚え方。方法。

内容の理解の仕方。

価値は事前には評価できないということを体験すること。

 

結果ではなく、過程こそが大事だといっているわけではない。

 

勉強とは、何かを手に入れることではない。

スポーツのような運動に近いのだと思う。

 

スポーツは考えた上で、

何度も繰り返して、

身体に染み込ませる。

 

身体が覚えるということが、

勉強にもあるのだと思う。

勉強の方法や思考方法は、身につく。

 

勉強した内容は忘れていい。

勉強したという経験。

勉強を続けるためにした工夫。

したくない勉強を、

する方向に持っていった頭の切り替え方法。

 

勉強内容を覚えておくことは重要ではない。

勉強をしたという事実や方法が身についていることが重要。

 

また、今まさに学んでいることの重要性は、

後になってからしかわからないことが多いのかもしれない。

 

先輩から何かを教わる。

それが、全体の中で、どんな位置を占める事柄なのかは、その時点ではわからない。

 

それを質問しても、ピンとくるものではないはすだ。なぜなら、体験していないから。

 

でも、わからないけど、進む。

そのことが人を前に進める。