自分を彫刻する

 

最近はニュースをあまり見ないようにしている。

週に1回アプリで3分見る程度。

 

テレビもほとんどつけない。

正確にはテレビは捨てていて、パソコンで見られるが、

月に1回つけるかどうか。

今月は金曜ロードショージブリをみた。

 

外部の情報からかなり距離を置いている状態だけど、

支障を感じることはない。

 

また、読書量も1/10ほどになった。

 

ここ2年ほど、自分の周辺にフォーカスしようと意識しだしてから、

こういう状況になった。

 

その状況に、今は満足している。

 

かつては、暇さえあればニュースアプリを開いて、

更新ボタンを押して最新情報を求めたり、そこで知らないことがあればすぐに調べた。

 

知識は増えるけど、なんのための知識だったんだろうか。

そのころは、教養が大事と考えていたし、

生かされない知識もまた、価値があると信じていた。

今も完全に否定はしないが。

 

ただ、人生はさほど長くないということを考えると、

膨大な情報を手当たり次第追うことや付随する知識を調べることを

あえてしないという選択が大事に思えてくる。

 

ここに至って、なんで自分はあんなにすぐに調べようとしてたんだろうと思う。

断片的な知識を無作為に得たところで、なんの意味があるのかと今は思う。

 

これは知的な退化かもしれないと思うことも正直あって、

なんだかなと思う。

 

ただ、情報を追っていない今の方が、幸せなのだ。

そう実感している自分は疑えない。

 

自分の周辺にフォーカスして生きることは、幸せと強く関係している気がする。

 

確かニーチェが、

「宝物は足元にある」というような言葉を残している。

 

どこか自分とは違う世界との関わりこそが幸せなのだという考えとは逆だ。

自分探しの世界旅行とは逆だ。

 

自分に集中すること、自分の周辺を重視すること。

 

だから最近は、ニュース(遠い情報)を遠ざけて、

筋トレによって自分の肉体と向き合っている。

ランニングしている。

瞑想をしている。

日記を書いてる。

本は自己成長系に比重を置いている。

 

本は「7つの習慣」「うまくいっている人の考え方」「小さいことにくよくよするな」

など人格的な成長の助けになりそうなものを選択するようにした。

 

小手先のものでもなく、遠すぎもせず、

人としていかに生きるかということを本を通じて、自己対話して行きたい。

 

かつての自分は自己啓発本を読まなかったし、

ばかにしていた。

 

今は、もっともっと読みたいと思っている。

この手の本は、知識のためではなく、

自己変容のための本だから、

ゆっくり1日2ページくらいで読む。

 

ニュースを追う時間で、自分を追う。

いや追っている感覚ではない。

自分を彫るようなイメージ。

 

大きな塊から、削って削って、自分を見出すのだ。

自明のようで、自明でない自分を。