大人になることは難しい。
年齢的な大人ではなく、
精神的な大人のことだ。
なぜ難しいかというと、
それはこの国に大人が少ないからのように思う。目指すべきものが周囲にない中で、
どこを目指せばいいのか。
何を真似ればいいのか。
大人になるとは、責任を身に受けることを歓迎することという要素も含まれると思う。
一方、責任から逃げたがる人は子どもだ。
自分のために生きすぎると、
それは子どもに近づく。
身の回りに大人がいない時、
映画、本などの記録媒体は役に立つ。
時空を超えるし、距離も超えていくから、
日本に大人がいなくても大丈夫だし、
過去の日本に大人はいる。
だが、やはり肉体的な感覚をもって、
大人と接するということは、
子どもを大人にするには最も良い。
親が大人であるに越したことはない。
余裕がないと、大人も子どもになる時があるだろうと思う。
余裕がない社会、加速する社会が、
大人を子ども化させているのは、
ひとつの可能性としてあるのではないかと思う。
ひとまず、
自分がさほど大人でないという事実を認めさせるようなモノに出会うことから始める。
それは、異コミュニティであったり、本、映画等である。
あぁ、自分は大人じゃないなと思って初めて、
大人への階段が目の前に現れる。
その頻度を上げて、さまざまな面で大人になっていくように自分を変えていく。
そのプロセスなしに、
歳をとるだけで大人になるということはない。